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文化財 仏像のよこがお
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−第39回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社第四殿の神は誰か 」
第四殿の女神坐像(左・木型、右・鋳造像) 前回(1月28日号)、丹生都比売神社(かつらぎ町上天野)の第三殿を気比明神とする祭祀(さいし)のあり方が実は古いものではなく、元は三大明神(三大神宮)と呼ばれ、高野山麓で信仰さ… -
−第38回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社第三殿の神は誰なのか 」
かつらぎ町上天野の丹生都比売神社は、高野山の鎮守として厚く信仰されています。空海に帰依して高野山の地を譲った地主神である、第一殿の丹生明神と第二殿の高野明神、鎌倉時代初期には第三殿と第四殿が増え、合わせて丹生高野四社明… -
−第37回−文化財 仏像のよこがお「神護寺領 神野真国荘の仏像 」
弘法大師ゆかりの京都洛北・神護寺は、平安時代末期には荒廃していましたが、武士を出自とし、源頼朝に平家討伐の挙兵を促した僧・文覚(もんがく)の活躍で復興します。文覚は多数の荘園の寄進を受け、復興の費用を調達しており、紀伊国… -
−第36回−文化財 仏像のよこがお「廣八幡宮とともにあった仏像 」
十一面観音立像 明王院蔵 先日、和歌山県立博物館で開催された特別展「濱口梧陵と廣八幡宮」では、同館の調査により把握された広川町内の寺社に伝わる文化財が多数展示公開され、見応えのあるものでした。 展示の核となったのは廣… -
−第35回−文化財 仏像のよこがお「高野山を救った僧、木食応其 」
木食応其坐像 興山寺蔵 木食応其(1536~1608年)という僧をご存じでしょうか。豊臣秀吉の右腕として京都・方広寺(東山大仏)や東寺、醍醐寺(だいごじ)、厳島神社など多数の寺社の造営に携わった高野山の勧進聖(かんじん… -
−第34回−文化財 仏像のよこがお「夏瀬の森に秘められた神像」
田殿丹生神社の2対の丹生明神・高野明神坐(ざ)像 有田川の北岸に接した有田川町出地区に、遠くからもその神奈備型(かんなびがた=神が宿る整った三角の山)の秀麗な姿を伺うことのできる白山があります。各所に大きな磐座(いわくら… -
−第33回−文化財 仏像のよこがお「村のシンボルとしての仏像」
阿弥陀寺 薬師如来坐像 かつらぎ町教良寺(きょうらじ)地区は、高野山鎮守の丹生都比売(にうつひめ)神社がある天野地区に隣接し、地区内には高野山上に至る世界遺産の町石道が通ります。かつて弘法大師入定の旧暦3月21日に行われ… -
−第32回−文化財 仏像のよこがお「小さな胎内仏が伝える信仰史」
有田川町の歓喜寺は、京都・高山寺を開いた高僧・明恵(1173~1232)ゆかりの寺です。明恵没後の建長年間(1249~1256)の初めごろ、弟子であった喜海が願主となって、その生誕地に創建されました。その後、戦国時代の末… -
−第31回−文化財 仏像のよこがお「丹生明神の道と頬切地蔵」
かつらぎ町の三谷地区と天野地区を結ぶ三谷坂は、2016年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。10世紀ごろ成立した「丹生大明神告文(のりと)」に記される神話によれば、丹生明神は最初に奄田村石口(三谷の… -
−第30回−文化財 仏像のよこがお「現存最古の往生者坐(ざ)像」
高野山麓、有田川町の湯川川流域(上湯川・下湯川地区)の源流近く、日光山中に今は小さな祠(ほこら)を残すだけとなっている日光社があります。この地には平家落人伝承が残り、日光社の祭祀(さいし)を行った小松家も平維盛の子孫とさ…