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文化財 仏像のよこがお
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−第44回−文化財 仏像のよこがお「桛田荘開発の始まりを告げる仏像」
無量寺 阿弥陀如来坐像 かつらぎ町笠田地区とその周辺一帯は、かつて桛田荘と呼ばれた荘園でした。その荘園の領域を描いた中世の絵図が、京都・神護寺と地元の宝来山神社の両方に残され、ともに重要文化財に指定されています。荘域と自… -
−第43回−文化財 仏像のよこがお「葛城修験の歴史を伝える仏像」
西念寺地蔵菩薩(八幡神)立像、修理前㊧と修理後㊨ 友ヶ島から和歌山・大阪・奈良の境にある葛城山系の峰々を、『法華経』の内容になぞらえた28カ所の経塚をたどりながら修行する葛城修験は、2020(令和2)年に日本遺産に登録さ… -
−第42回−文化財 仏像のよこがお「最勝寺と浄教寺をつなぐ銘記」
浄教寺十二天像のうち風天像 有田川町の浄教寺には、鎌倉時代初期の慶派仏師が手掛けた「大日如来坐(ざ)像」(本コラム第18回、2021年4月24日号で紹介)や、同じ頃に描かれた日本を代表する「仏涅槃(ねはん)図」(ともに重… -
−第41回−文化財 仏像のよこがお「藤白神社の熊野三所権現本地仏坐像 」
熊野三所権現本地仏坐像 海南市藤白の藤白神社は、熊野三山への参詣道沿いにある九十九王子の中でも特に重要な「五体王子」と呼ばれる王子社の一つです。王子社には本来、修行者を護持する金剛童子がまつられ、参詣者は王子社を一つず… -
−第40回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社神像の作者は誰? 」
三谷薬師堂の丹生明神像 平安時代後期から鎌倉時代後期にかけて、丹生都比売神社(かつらぎ町上天野)とその所領(六箇七郷)は仁和寺(京都市)の支配下にありました。仁和寺宮覚法法親王が、1147(久安3)年に高野参詣した際に… -
−第39回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社第四殿の神は誰か 」
第四殿の女神坐像(左・木型、右・鋳造像) 前回(1月28日号)、丹生都比売神社(かつらぎ町上天野)の第三殿を気比明神とする祭祀(さいし)のあり方が実は古いものではなく、元は三大明神(三大神宮)と呼ばれ、高野山麓で信仰さ… -
−第38回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社第三殿の神は誰なのか 」
かつらぎ町上天野の丹生都比売神社は、高野山の鎮守として厚く信仰されています。空海に帰依して高野山の地を譲った地主神である、第一殿の丹生明神と第二殿の高野明神、鎌倉時代初期には第三殿と第四殿が増え、合わせて丹生高野四社明… -
−第37回−文化財 仏像のよこがお「神護寺領 神野真国荘の仏像 」
弘法大師ゆかりの京都洛北・神護寺は、平安時代末期には荒廃していましたが、武士を出自とし、源頼朝に平家討伐の挙兵を促した僧・文覚(もんがく)の活躍で復興します。文覚は多数の荘園の寄進を受け、復興の費用を調達しており、紀伊国… -
−第36回−文化財 仏像のよこがお「廣八幡宮とともにあった仏像 」
十一面観音立像 明王院蔵 先日、和歌山県立博物館で開催された特別展「濱口梧陵と廣八幡宮」では、同館の調査により把握された広川町内の寺社に伝わる文化財が多数展示公開され、見応えのあるものでした。 展示の核となったのは廣… -
−第35回−文化財 仏像のよこがお「高野山を救った僧、木食応其 」
木食応其坐像 興山寺蔵 木食応其(1536~1608年)という僧をご存じでしょうか。豊臣秀吉の右腕として京都・方広寺(東山大仏)や東寺、醍醐寺(だいごじ)、厳島神社など多数の寺社の造営に携わった高野山の勧進聖(かんじん…