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文化財 仏像のよこがお
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−第49回−文化財 仏像のよこがお「桧垣本七郎作の獅子口面」
高野山麓の九度山町河根(かね)地区は、集落内を高野街道が通り、江戸時代には旅籠(はたご)や茶店が軒を連ね、高野参詣の人々でにぎわいました。集落の北端にある河根丹生神社には古い猿楽面(能面・狂言面)が12面伝わり、このうち… -
−第48回−文化財 仏像のよこがお「瑞応素川による歓喜寺中興と千体仏」
歓喜寺下品堂の千体仏 有田川町の歓喜寺は、前回(本連載第47回・2023年11月4日号)紹介したように、鎌倉時代の高僧・明恵上人の生誕地に、弟子の喜海と湯浅氏によって建立された寺院です。湯浅氏の没落に伴い、当初華厳宗寺… -
−第47回−文化財 仏像のよこがお「湯浅氏の菩提を弔う地蔵菩薩」
歓喜寺地蔵菩薩坐像(重要文化財) 湯浅氏の菩提を弔う地蔵菩薩 有田川町の歓喜寺は、高僧明恵上人(1173~1232年)の生誕地に、没後その遺徳をしのび、弟子の喜海(1178~1250年)が建長元(1249)年に建てた寺… -
−第46回−文化財 仏像のよこがお「生きているような法燈国師の姿」
生きているような法燈国師の姿 日本におけるしょう油発祥説の一つに、禅僧覚心が、中国・宋の径山寺(きんざんじ)からみその製法を持ち帰り、そのたまり汁をしょう油として利用したという話があります。中世末にはしょう油醸造を行… -
−第45回−文化財 仏像のよこがお「八坂神社傘鉾祭の鬼面」
八坂神社 鬼面 高野山奥之院に源を発する不動谷川の上流域、谷に沿って民家が点在する高野町細川の集落に八坂神社があります。清流の向こうに社殿や阿弥陀堂が並び建つ様子は別天地の趣で、かつて牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼… -
−第44回−文化財 仏像のよこがお「桛田荘開発の始まりを告げる仏像」
無量寺 阿弥陀如来坐像 かつらぎ町笠田地区とその周辺一帯は、かつて桛田荘と呼ばれた荘園でした。その荘園の領域を描いた中世の絵図が、京都・神護寺と地元の宝来山神社の両方に残され、ともに重要文化財に指定されています。荘域と自… -
−第43回−文化財 仏像のよこがお「葛城修験の歴史を伝える仏像」
西念寺地蔵菩薩(八幡神)立像、修理前㊧と修理後㊨ 友ヶ島から和歌山・大阪・奈良の境にある葛城山系の峰々を、『法華経』の内容になぞらえた28カ所の経塚をたどりながら修行する葛城修験は、2020(令和2)年に日本遺産に登録さ… -
−第42回−文化財 仏像のよこがお「最勝寺と浄教寺をつなぐ銘記」
浄教寺十二天像のうち風天像 有田川町の浄教寺には、鎌倉時代初期の慶派仏師が手掛けた「大日如来坐(ざ)像」(本コラム第18回、2021年4月24日号で紹介)や、同じ頃に描かれた日本を代表する「仏涅槃(ねはん)図」(ともに重… -
−第41回−文化財 仏像のよこがお「藤白神社の熊野三所権現本地仏坐像 」
熊野三所権現本地仏坐像 海南市藤白の藤白神社は、熊野三山への参詣道沿いにある九十九王子の中でも特に重要な「五体王子」と呼ばれる王子社の一つです。王子社には本来、修行者を護持する金剛童子がまつられ、参詣者は王子社を一つず… -
−第40回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社神像の作者は誰? 」
三谷薬師堂の丹生明神像 平安時代後期から鎌倉時代後期にかけて、丹生都比売神社(かつらぎ町上天野)とその所領(六箇七郷)は仁和寺(京都市)の支配下にありました。仁和寺宮覚法法親王が、1147(久安3)年に高野参詣した際に…