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文化財 仏像のよこがお
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−第53回−文化財 仏像のよこがお「歓喜寺上品堂の阿弥陀如来坐像」
明恵上人(1173~1232年)ゆかりの有田川町の歓喜寺は、当初は華厳宗寺院でしたが、後に浄土宗へと転宗し、江戸時代の初めに瑞応素川(ずいおうそせん)という僧侶が入山して、伽藍(がらん)の整備に努めました。このコラムの… -
−第52回−文化財 仏像のよこがお「『紀伊国名所図会』高野山図の下絵」
博物館の機能は大別すると「収集」「保管」「展示・教育」「調査研究」に分かれます。その中でも「収集」は資料を意図を持って集め、研究の基盤を作り、展示を構築するための基礎となります。古びたものをからかうような「博物館行き」と… -
−第51回−文化財 仏像のよこがお「交じり合う縁起と信仰を描く」
千手観音像(中)と丹生明神(左)・役行者像(右)(和歌山県立博物館蔵) 粉河寺の本尊千手観音は、生身(しょうじん)の観音として信仰されています。生身とは、仏が生きた体を伴いこの世に現れたことを示し、粉河寺の縁起(漢文縁… -
−第50回−文化財 仏像のよこがお「高野山の面打・真徳院」
高野山鎮守、丹生都比売神社(天野社)所領の六箇七郷の一つに古佐布(こさわ)郷があります。九度山町下古沢・中古沢・上古沢・笠木がその範囲で、上古沢の古沢厳島神社を氏神とし、今も住民が結束して、毎年傘鉾(ほこ)神事や鬼の舞… -
−第49回−文化財 仏像のよこがお「桧垣本七郎作の獅子口面」
高野山麓の九度山町河根(かね)地区は、集落内を高野街道が通り、江戸時代には旅籠(はたご)や茶店が軒を連ね、高野参詣の人々でにぎわいました。集落の北端にある河根丹生神社には古い猿楽面(能面・狂言面)が12面伝わり、このうち… -
−第48回−文化財 仏像のよこがお「瑞応素川による歓喜寺中興と千体仏」
歓喜寺下品堂の千体仏 有田川町の歓喜寺は、前回(本連載第47回・2023年11月4日号)紹介したように、鎌倉時代の高僧・明恵上人の生誕地に、弟子の喜海と湯浅氏によって建立された寺院です。湯浅氏の没落に伴い、当初華厳宗寺… -
−第47回−文化財 仏像のよこがお「湯浅氏の菩提を弔う地蔵菩薩」
歓喜寺地蔵菩薩坐像(重要文化財) 湯浅氏の菩提を弔う地蔵菩薩 有田川町の歓喜寺は、高僧明恵上人(1173~1232年)の生誕地に、没後その遺徳をしのび、弟子の喜海(1178~1250年)が建長元(1249)年に建てた寺… -
−第46回−文化財 仏像のよこがお「生きているような法燈国師の姿」
生きているような法燈国師の姿 日本におけるしょう油発祥説の一つに、禅僧覚心が、中国・宋の径山寺(きんざんじ)からみその製法を持ち帰り、そのたまり汁をしょう油として利用したという話があります。中世末にはしょう油醸造を行… -
−第45回−文化財 仏像のよこがお「八坂神社傘鉾祭の鬼面」
八坂神社 鬼面 高野山奥之院に源を発する不動谷川の上流域、谷に沿って民家が点在する高野町細川の集落に八坂神社があります。清流の向こうに社殿や阿弥陀堂が並び建つ様子は別天地の趣で、かつて牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼… -
−第44回−文化財 仏像のよこがお「桛田荘開発の始まりを告げる仏像」
無量寺 阿弥陀如来坐像 かつらぎ町笠田地区とその周辺一帯は、かつて桛田荘と呼ばれた荘園でした。その荘園の領域を描いた中世の絵図が、京都・神護寺と地元の宝来山神社の両方に残され、ともに重要文化財に指定されています。荘域と自…