−第59回−文化財 仏像のよこがお「尾鷲・真巖寺薬師如来坐像と地域史」
- 2024/10/31
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三重県尾鷲市九鬼町、九鬼漁港の集落の最も高いところに曹洞宗の真巖寺があります。九鬼浦はリアス式海岸特有の地形を生かして形成された天然の良港で、水運の重要拠点として江戸時代には紀伊藩領内の三大港の一つと位置づけられていました(紀伊続風土記)。
中世、九鬼浦を本拠とする水軍領主九鬼氏は、熊野八荘司を出自とするという説と(寛政重修諸家譜)、南北朝時代に伊勢より移住した藤原隆信を祖とする説があります(九鬼宗家正系図略)。鎌倉時代から南北朝時代ごろには、水運をなりわいとして武力をも備えた勢力が、この良港を拠点として成長していたようです。
真巌寺本尊の薬師如来坐像(三重県指定文化財)は、像高91・9㌢の等身大の像で、像内に1329(嘉暦4)年の年紀を始め、多数の人名が記されています。銘記の冒頭に、薬師如来を「長西・若別当・高利・安王女・若太夫ら□衆等(□は欠字)」の願意に基づいて造立することが述べられています。
若別当や若太夫は、九鬼郷の鎮守社の祭事に関わる立場とみられ、欠字のある「□衆」は、結衆や交衆、願衆(造立に尽力した団体)などでしょう。九鬼氏の一族が結束し、造像した状況がうかがえます。さらに、宇井入道西仏という名があります。宇井姓は、熊野新宮の祭事に関わった熊野三党(榎本・宇井・鈴木)のうちの一つで、本像造像をプロデュースした存在かもしれません。
そしてもう一人、仏子浄慶と記されています。本像銘記は比較的早くから知られていましたが、浄慶はこれまで不明でした。近年、和歌山県すさみ町にある持宝寺の1336(延元元)年作の阿弥陀如来立像の作者が浄慶と判明、作風も一致しており、この人物が真巖寺像の作者であると分かりました。熊野地方の各地で活動する仏師の姿が浮かびあがったのです。
真巖寺像の銘記は、鎌倉時代の九鬼浦とそこに暮らす人々、そして熊野の歴史をも浮かび上がらせてくれています。仏像は地域の歴史を語りかけています。
和歌山県立博物館で開催中の特別展「聖地巡礼―熊野と高野―第Ⅲ期 人・道・祈り」で公開中。11月24日(日)まで。
(奈良大学准教授・大河内智之)
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