不平等条約改正130年! 今こそ知ろう、世界と対峙した郷土の英雄
龍馬の想いを紡いだ 陸奥宗光の生涯
- 2024/5/23
- フロント特集
江戸末期に諸外国と結ばれた不平等条約を改正するために尽力した陸奥宗光。紀州藩出身の彼は幕末、坂本龍馬に多くを学びました。条約改正130年を迎える今夏、和歌山で坂本龍馬と陸奥宗光に関するイベントが開催。その紹介と、条約改正までの軌跡をたどります。
反骨精神から勉学に励む宗光
龍馬に見込まれたその才能
上の写真、一番右は坂本龍馬。幕末の動乱期、徳川幕府を倒そうと画策していた薩摩藩と長州藩を結び、倒幕への道筋をつけたことは、あまりにも有名ですね。
一番左は、紀州藩出身で、明治時代に外務大臣として不平等条約の改正に尽力した陸奥宗光(むつむねみつ)。真ん中が、「ワシントン社交界の華」と称された宗光の妻・亮子(りょうこ)夫人です。
全国の坂本龍馬ファンが集い、その業績をたたえるイベント「龍馬World(ワールド)」。不平等条約改正130年、陸奥宗光生誕180年にあたる今年、同イベントを和歌山に招致し、7月13日(土)に和歌山城ホールでの開催が決定しました。タイトルは、「第36回 龍馬World in和歌山 龍馬と宗光 未来への伝言 ―和魂、紀州和歌山にあり―」。
はて? 龍馬と宗光、2人の関係性は…。龍馬World in和歌山実行委員会の臼井康浩委員長に解説してもらいます。
「宗光の父・伊達宗広(別名・千広)は、紀州10代藩主の徳川治宝(はるとみ)に仕えた重臣でした。治宝の死後、藩内の政争に敗れて宗広は失脚し、田辺城近くに幽閉、家族は十里所払いに。少年だった宗光はその理不尽さに怒り、荒れたこともあったそうです。ところが宗光少年の優秀さを見抜いた周りの人は、勉学を推奨。父の政敵に報復するためには才覚を磨いて出世することが肝要と宗光は悟り、熱心に励みます」
高野山でも教えを受け、寺男として江戸に連れてもらい、さらに勉学する機会を得ます。
「父・宗広は京都に移り、尊王攘夷(そんのうじょうい、君主を尊び外敵を退ける)を説いていました。宗広の下には木戸孝允、伊藤博文、坂本龍馬が出入りし、京都に赴いた宗光は、宗広の家で龍馬と交わるのです」
龍馬とウマが合った宗光は、勝海舟が創設し龍馬が塾長を務める「海軍塾」に入り、龍馬が組織した「海援隊」にも入隊して敏腕ぶりを発揮。「二本(刀を)刺さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と龍馬が語るほどの成長を遂げます。
龍馬の遺志を受け継ぎ、日本を一流国に
条約改正に取り組んだ宗光と
その偉業を支えた亮子夫人
「うっ屈した少年時代を過ごした宗光は、とっつきにくいタイプ。一方で龍馬は天性の明るさで人を引き付ける魅力にあふれ、9歳年下の宗光を弟のようにかわいがった。宗光は龍馬から、天下の形勢や日本の行く末、人間力の大切さまで大いに学びました」と臼井さんは話します。
坂本龍馬暗殺、大政奉還…政局が激変する中、宗光は持ち味の英語力と交渉力を見込まれ、パークス英公使と面会。その後、「各国公使に王政復古(武家政治を廃して君主政体に復す)を通知し、開国政策を明らかにすべき」との意見書を岩倉具視に提出し、大いに喜ばせます。まさに龍馬の考えを引き継いだ行動。
「その功績で宗光は『外国事務局御用掛』の職に就きますが、新政府は当時、薩摩・長州藩出身者が要職を占めていました。紀州藩出身の宗光は自分の力を十分に発揮できずにいたのです」
同じように不満を募らせていた「土佐急進派」と接近し、新政府を見限った西郷隆盛らによる西南戦争に乗じ、薩長閥(ばつ)一掃を狙った宗光。ところが西郷はあっけなく敗れ、宗光らの企みは露見し、逮捕。禁獄5年の判決を受けます。
出獄後、宗光は欧米諸国へ外遊し、帰国後は宗光の能力を買っていた伊藤博文らが手を差し伸べて政府へ出仕。大隈重信外相の任命で駐米全権公使を引き受けます。そして、メキシコとの修好通商条約、アメリカとの改正通商条約に調印するなど、その辣腕(らつわん)ぶりを発揮しました。
「女性の社会進出を推進したことも宗光の特長です。亮子夫人に学問や英語を勧めました。女性は男性の三歩下がって歩く時代、宗光は亮子夫人と手をつないで歩くような、近代的な夫婦に。渡米後、亮子夫人は英語で招待客をもてなし、優雅で品のある対応ぶりから『ワシントン社交界の華』と称されました」
当時、江戸末期に結ばれた諸外国との不平等条約改正が日本の悲願。井上馨(かおる)外相は鹿鳴館(ろくめいかん)を建設して日本の文明を披露することで改正を目指しましたが“西洋かぶれ”との国民の反感を買って失敗。大隈重信外相は外国人判事任用を進めたことで、反対者から襲撃され交渉を断念。もう待ったなしの状況下、第2次伊藤内閣が発足し、宗光に白羽の矢が立ちます。
「外務大臣になった宗光は交渉の相手をイギリスに絞り、交渉能力の高い青木周蔵を駐英大使として送り込みます。宗光は国内から異論が出ないよう、隙のない体制を作りました。1893年12月の国会で条約改正の推進を説き、これは日本近代史に残る名演説として『条約改正史』に記載されています」
亮子夫人はこの間、多忙な宗光に代わって外国公使館を訪問し、親睦会を開くなど社交界の中心人物になり、「鹿鳴館の華」と賛辞されます。
翌年7月16日、日英通商就航条約調印に成功し、日本は国家主権を取り戻しました。この後、アメリカやロシアなど14カ国と交わしていた不平等条約を改正し、日本を救ったのです。
「坂本龍馬も陸奥宗光も、世界目線で日本を捉え、進むべき道を考えていました。和歌山の学生にはイベントに参加し、郷土が生んだ宗光の功績をもっと知ってほしい」と臼井さん。なお、来賓の山東昭子前参議院議長は、宗光を支えた和歌山出身の山東直砥(なおと)のひ孫にあたります。
“陸奥宗光なくして、近代日本の成立はあらず”
郷土の英雄に誇りを!
陸奥宗光 年譜
※年齢は数え年
西暦(年号) | 年齢・事項 |
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1844(弘化元)年 | 【年齢】1 7月7日、誕生(現在の和歌山市吹上)。父・伊達宗広、母・政子 |
1852(嘉永5)年 | 【年齢】9 伊達宗広が失脚。田辺に幽閉 |
1857(安政4)年 | 【年齢】14 大和五条で民政書や算術を学び、高野山無量光院で尊了師の教えを受ける |
1858(安政5)年 | 【年齢】15 江戸に出て勉学を始める |
1862(文久2)年 | 【年齢】18 京都に上り、尊王運動に奔走。父・宗広の門に入っていた坂本龍馬と知り合う |
1863(文久3)年 | 【年齢】20 勝海舟の私塾「海軍塾」(神戸)に入る |
1864(文久4)年 | 【年齢】21 幕府が開設した「海軍操練所」(神戸)に入所 |
1866(慶応2)年 | 【年齢】22 長崎の「亀山社中」に属し、英語を学ぶ |
1867(慶応3)年 | 【年齢】24 4月に坂本龍馬が組織した「海援隊」に入隊。11月15日、坂本龍馬が暗殺される |
1868(明治元)年 | 【年齢】25 外国事務局御用掛として新政府に出仕。吹田蓮子と結婚 |
1870(明治3)年 | 【年齢】27 和歌山藩欧州執事として渡航(独・英・仏・米) |
1872(明治5)年 | 【年齢】29 2月に蓮子夫人死去。4月に「田租改正建議」を行い、租税頭になる。5月に金田亮子と結婚 |
1877(明治10)年 | 【年齢】34 西南戦争で西郷隆盛が戦死 |
1878(明治11)年 | 【年齢】35 西南戦争に関わる土佐立志社事件に関与したとして逮捕。禁獄5年の判決。山形監獄へ送致 |
1883(明治16)年 | 【年齢】40 放免出獄。和歌山県会議事堂での歓迎会に臨席 |
1884(明治17)年 | 【年齢】41 外遊(米・英・仏・独・露など)に出発 |
1886(明治19)年 | 【年齢】43 帰国後、外務省に出仕 |
1888(明治21)年 | 【年齢】45 駐米全権公使としてワシントン在勤(亮子、岡崎邦輔らも同行)。11月、日本としては初の対等条約となる日墨(メキシコ)修好通商条約の調印に導く |
1890(明治23)年 | 【年齢】47 帰国。農商務大臣を拝命。第1回総選挙が行われ、和歌山県1区で当選 |
1892(明治25)年 | 【年齢】49 第2次伊藤内閣で外務大臣に就任。イギリスとの条約改正に着手 |
1893(明治26)年 | 【年齢】50 対等条約案と交渉方針を閣議に提出。12月29日、衆議院で近代史上に残る演説を行い、条約改正の推進を説く |
1894(明治27)年 | 【年齢】51 7月16日、日英通商航海条約(領事裁判権の撤廃、関税自主権の部分的回復、最恵国待遇の相互化)に調印、初の不平等条約の改正に成功。7月25日、日清戦争開戦。8月29日、条約改正の功で子爵に |
1895(明治28)年 | 【年齢】52 4月17日、清国全権との間で日清講和条約調印。6月から療養生活に入る |
1897(明治30)年 | 【年齢】54 8月21日、正二位を賜る。8月24日、自宅で死去。亮子夫人は3年後の8月15日に死去(45歳) |
龍馬 World in 和歌山 龍馬と宗光 未来への伝言 ―和魂、紀州和歌山にあり―
開催日時
7月13日(土)午後1時~5時半
開催場所
和歌山城ホール大ホール
入場料
一般2000円(150席)、学生(保護者同伴の小学生、中・高・大学生)無料(260席)
プログラム
午後1時
国民儀礼 国歌斉唱(古梅志穂/海南市出身シンガーソングライター)
1時5分
オープニングアトラクション 抜刀術 天下無双(杉尾仁/風神流宗家)
1時15分
開会宣言 あいさつ(主催者…本山貢/和歌山大学学長・橋本邦健/全国龍馬社中代表理事、外務大臣祝辞代読および主賓あいさつ…越智友佳子/外務省大臣官房国内広報室長、来賓…山東昭子/前参議院議長、ほか)
1時40分
国内外の各龍馬会紹介
2時10分
基調講演(佐藤正久/参議院議員、松浦光修/皇學館大学教授)
4時
「坂本龍馬を教育に活かす活動」と「『いろは丸』引き上げプロジェクト」について報告
4時30分
パネルディスカッション「龍馬と宗光 未来への提言」(臼井康浩/紀州宗光龍馬会会長、坂本匡弘/郷士坂本家10代目当主、峯岸弘行/日野新選組同好会名誉局長、ほか)
5時15分
次回開催地引き継ぎセレモニー
5時25分
閉会あいさつ
「いろは丸」引き上げプロジェクト
1867年5月26日、坂本龍馬や陸奥宗光ら海援隊が乗っていた蒸気船「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が瀬戸内海を航行中に衝突し、「いろは丸」は鞆の浦(広島県福山市)に沈没。龍馬は万国公法を持ち出して紀州藩の過失を追求、紀州藩は多額の賠償金を支払うことに。沈んだ場所から船体部品や装備品、生活用具などを今も回収しています。
参加申し込み |
一般 学生 |
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大会に関する 問い合わせ |
同大会実行委員会事務局 070(3280)0379 (午前9時~午後5時) ※同日午後6時15分からダイワロイネットホテル和歌山で「交流会」を開催。会費1万円。申し込みは上記まで電話 |
和歌山市立博物館 企画展
陸奥宗光伯生誕180周年記念
陸奥宗光と和歌山
ー宗光を支えた紀州の賢人ー
7月6日(土)~9月8日(日)に開催。陸奥宗光を支えた和歌山の人々に関する資料を展示し、陸奥と和歌山のつながりが紹介されます。
小・中学校での出前授業の実施
「龍馬World in 和歌山」開催を前に、5月15日には加太中学校、22日には吹上小学校、23日には広瀬小学校で陸奥宗光に関する「出前授業」を実施。加太中学校は28日からの修学旅行で外務省を訪問します。