−第47回−文化財 仏像のよこがお「湯浅氏の菩提を弔う地蔵菩薩」
- 2023/11/2
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- 文化財 仏像のよこがお
湯浅氏の菩提を弔う地蔵菩薩
有田川町の歓喜寺は、高僧明恵上人(1173~1232年)の生誕地に、没後その遺徳をしのび、弟子の喜海(1178~1250年)が建長元(1249)年に建てた寺院です。同じく弟子の高信が編さんした『高山寺縁起』末尾にある、師の遺跡8カ所を列記した「紀州所々遺跡」の歓喜寺条に、創建時、明恵のいとこである湯浅宗氏が支援したことが記されています。宗氏の子の浄林房澄恵が住職を勤め、孫の宗春も所領を寄進し、後に阿弖川(あてがわ)氏を名乗る一門と深い関わりがありました。
本連載の第32回(2022年7月23日号)で、歓喜寺地区の住民の手から手に引き継がれてきた、鎌倉時代の慶派仏師が作った像高3・3センチの小さな地蔵菩薩坐(ざ)像が、元は同寺檀越(だんおつ=施主)の湯浅宗氏の念持仏と推測されることを紹介しました。
この小像は江戸時代まで、歓喜寺下品堂の脇壇厨子(ずし)に安置された別の地蔵菩薩坐像(重要文化財)の像内に納められていたことが、寺の記録から分かります。
この地蔵菩薩坐像は像高78・5センチ、像のほぼ全てを一本の木から彫り出した一木造りの仏像です。額の鉢が張り、肩幅が広く胸板も厚く、固く組んだ両脚は左右に広がり安定していて、堂々とした重量感のある姿です。袖には弾力のある深く柔らかなしわと、エッジの立ったしわを交互に表す翻波式衣文(ほんぱしきえもん)が見られます。こうした特徴から、平安時代前期、9世紀末ごろの造像と見られます。座った姿の地蔵菩薩としては、京都の広隆寺や新町地蔵保存会の作例に次ぐ、日本屈指の古像です。
歓喜寺の創建時期をさかのぼる古像は、胎内仏を納めるための鞘仏(さやぼとけ)としてもたらされ、明恵の聖地を守る湯浅宗氏と一門の菩提をとむらった、象徴的な仏像だったのではないかと考えています。
和歌山県立博物館の特別展「紀州明恵上人伝」で11月26日(日)まで公開中。
(和歌山県立博物館アドバイザー、奈良大学准教授・大河内智之)
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