紀の国わかやま文化祭 未来へつなぐ人 vol.01
職人力! 伝統工法と現在技術
高野山、中門再建時の筆頭堂宮大工
- 2021/6/24
- コーナー
- 紀の国わかやま文化祭未来へつなぐ人
和歌山県で初開催となる文化の祭典「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」(愛称=紀の国わかやま文化祭2021)が、10月30日(土)~11月21日(日)、開かれます。開幕まで約4カ月、多彩なプログラムの中から、文化を継ぎ・つなぐ人を取り上げ、紹介します(掲載は、第1・3週を予定)。
2015年、高野山開創1200年記念大法会に合わせ、壇上伽藍(だんじょうがらん)の中門が172年ぶり、8代目として再建されました。焼失と再建を繰り返した中門、「今私たちは約800年前(鎌倉時代)の人が目にしたのと同じ光景を見ています」と話すのは、再建の際、筆頭の堂宮大工として指揮を取った尾上恵治さん(写真)。
現在の中門は、神仏習合の象徴であった鎌倉時代のものを再現しようと、当時の建築工法を採用。用材には、高野山の結界内で育った「高野霊木」と呼ばれる、樹齢300~400年前後のヒノキ74本が使われています。「高野山での巨木の使用実績は少なくとも大正以降ありませんが、用材として見事なものでした。伐採した木は余すことなく、適材適所に使え、お大師さまの力を感じずにはいられませんでした」と振り返ります。
工程の最難関は、門を支える長さ5㍍、重さ1トンにもなる18本の丸柱を、自然の形のままの18個の巨岩の上に立てる作業「光付け」。岩と接する底部を少しずつ削り、凹凸を合わせていくため時間がかかり、工程に数カ月遅れが。しかし、緻密な作業は功を奏し、一本一本の柱は巨岩の上で垂直・水平に自立。通常行う微調整の作業が要らなくなりました。尾上さんは「工期通り完成すると実感し、長いため息をついたのを覚えています」と言い、「再建は、高野山の堂宮大工だけでなく、育成・伐採・運搬という金剛峯寺・山林部と紀州山系の林業者の知識と技術力なくして実現できませんでした」と。尾上さんは今、地元の小学生に高野山の歴史や文化を伝えています。「地元に誇りを持ってほしいから」と笑顔を見せます。
同文化祭では、文化財の保全と活用をテーマにした講演会「和歌山の文化の今昔~熊野古道と近代建築~」で、高野山の建築物について話します。詳細は下記を。
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