戦国のヒーロー真田幸村
大河ドラマ決定に沸く
歴史上の人物を1年にわたって描き、毎年注目を浴びるNHK大河ドラマ。今年5月には平成28年度のタイトルが「真田丸」と発表され、話題を呼びました。それもそのはず、今回の主人公は数ある戦国武将の中でも特にファンの多い、真田幸村だからです。
幸村といえば、知将と名高い真田昌幸の次男。さえ渡る戦略で関ヶ原の戦い(第二次上田合戦)では徳川家を翻弄(ほんろう)。大坂夏の陣で「真田丸」と呼ばれる砦(とりで)を築き、徳川家康の本陣まで果敢に攻め込むなど、家康を最も苦しめた武将として知られています。
脚本は、映画や舞台などの脚本家として活躍中の三谷幸喜。幸村役に抜擢されたのは、ドラマ「半沢直樹」や「リーガルハイ」に出演し、乗りに乗っている堺雅人。各界の人気者3人がそろうとのニュースに、早くも期待の声が上がっています。 また、真田幸村と縁がある土地も大盛り上がり。生誕の地である長野県、14年間過ごした和歌山県、最後の地となった大阪府―。幸村はそれぞれの場所で、どう生きてきたのでしょうか。
和歌山へ流れついた名将
自己鍛錬に励む日々
永禄10(1567)年、真田昌幸の次男に生まれた幸村。父とともに自国の領土を守り、豊臣秀吉から大名の座を与えられるまでになりました。
慶長5(1600)年に起こった関ヶ原の戦いでは、実力を遺憾なく発揮し、上田城で徳川秀忠軍の足止めに成功。しかし本戦では徳川軍の圧勝だったため、昌幸と幸村は罰として高野山の寺「蓮華定院(れんげじょういん)」に流されてしまいます。14年に及ぶ、長い隠棲(いんせい)生活のスタートです。
蓮華定院では冬の寒さが厳しいという理由で高野山を下り、九度山に住まいを移した真田親子。穏やかな毎日を過ごしますが、幸村の胸中は燃えていました。いつか必ず豊臣家と徳川家
の決戦があると信じ、農作業で体を鍛え、軍事書を読み、〝その時〞に備えていたのです。
「高野山から九度山に下りてきたのは、いざという時、すぐ大阪に駆けつけるためでしょう」と、高野山町石道語り部の会の木村憲次さんは話します。「そして実際、幸村は大坂の陣に呼ばれます。この先見の明が素晴らしいですね」 今も多くの人の心をつかんで放さない幸村。彼の一生を、これからひもといていきます。
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