−第8回−文化財 仏像のよこがお「度重なる難を乗り越えた仏像」
- 2020/6/25
- コーナー
- 文化財 仏像のよこがお
度重なる難を乗り越えた仏像
紀の川市穴伏の円福寺に、珍しい姿の仏像があります。像高52・9cm、江戸時代に作られた愛染明王(あいぜんみょうおう)という仏で、頭上に獅子の顔を表した冠をかぶり、手が6本表されています。何より珍しいのは“立ち姿”であることです。愛染明王は、ほぼ座った姿で表されますので、そこには何か特別な理由がありそうです。
この仏像は元々、円福寺の近くにある名手八幡神社境内の神宮寺に伝わっていました。明治時代の初め、神道の国教化を目指した政府は、神社から仏教的なものを分離・排除する神仏分離を命じ、地域によっては廃仏毀釈(きしゃく)といって、壊されたり捨てられたりもしました。しかしこの像は、村の人たちが近くの円福寺に避難させ、守られたようです。
この愛染明王立像が、再び大きな災難に見舞われたのは2010(平成22)年10月。この年、連続して仏像窃盗を行っていた泥棒の手にかかったのです。犯人逮捕後も行方不明のままでしたが、13(平成25)年2月、オークションカタログに掲載されているのを偶然見つけ、出品業者の誠実な対応により、奇跡的に取り戻すことができました。
一昨年、コロンビア大学(米国)の仏教史研究者、エリザベス・ティンズリーさんから、「『遍明院大師明神御託宣記(ごたくせんき)』という史料に、ある僧が夢で丹生都比売神社の社殿の中に、立ち姿の愛染明王が現れるのを見たと書かれている」と教えてもらいました。夢の話ですが、神宮寺は高野山と関わりが深く、特殊な信仰がそこに息づいている可能性が浮上してきました。
取り戻せていなければ、そうした歴史のつながりを考えることも不可能となっていました。仏像はその外観のすばらしさとともに、誰が祈りどこで守ってきたのか、その伝来の歴史にこそ、価値があると私は思っています。(和歌山県立博物館主任学芸員・大河内智之)
関連キーワード