−第24回−文化財 仏像のよこがお「阿弥陀如来から薬師如来に変身した仏像」
- 2021/11/25
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- 文化財 仏像のよこがお
那智勝浦町下和田の大泰寺は、伝教大師最澄の開山と伝わる古い寺です。信仰の中心となる薬師堂には、本尊として1156(保元元)年に造像された阿弥陀如来坐(ざ)像(重要文化財)が安置されています。像高106センチ、ヒノキ材を用いた寄せ木造りで、円満な頭部や穏やかな起伏の体、整然と並べた衣のしわやひだの表現など、平安時代後期の特徴が典型的に見られます。
薬師堂の本尊が阿弥陀如来像なのは、ずいぶんと不思議なことです。しかし、その姿を確認すると、左手には薬壺(やっこ)を載せています。言うまでもなく薬師如来の標識です。これは一体どういうことでしょうか。
本像の像内には「奉造立六尺阿弥陀仏一体・右為過去尊霊法橋尊誉・滅罪生善往生極楽頓證」と記されています。法橋尊誉(ほっきょうそんよ)という那智山の僧が、過去尊霊と自らの滅罪と極楽往生を祈り、「六尺阿弥陀仏一体」を作ったようです。他にも、銘文には『往生要集』などから引用した阿弥陀如来の功徳が記されていますので、この仏像が本来は阿弥陀如来として造像されたことは確実です。1969(昭和44)年に重要文化財に指定される際に、この銘文情報を重視して、薬師如来の姿ながら「阿弥陀如来」を指定名称としたのです。
薬師堂には、薬師如来の脇侍(きょうじ)として、鎌倉時代後期ごろに造像された日光菩薩像と月光菩薩像、そして十二神将像がまつられていますので、造像から150年ほど後にはすでに阿弥陀から薬師へと変身していたと見られます。最澄が自ら刻んだと語り継がれた薬師如来像は、阿弥陀如来の歴史をもその内に秘めつつ、人々のあつい信仰を一身に受けて伝わってきたのです。(和歌山県立博物館主任学芸員・大河内智之)
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